江戸時代の儒学者、佐藤一斎の名言のひとつに
人は少壮の時にあたりては、惜陰を知らず。四十を過ぎて以後始めて惜陰を知る。
(人は20代や30代では人生の大切さ(惜陰)を知らない。40歳を過ぎて初めて、その大切さを知る。)
そんな意味の言葉があります。
20代の時に取り組んでいたことや、あのときの仕事や課外活動に対する意識が甘かったわけではありませんが、現在は時間や機会の大切さなどが何倍にも大切に感じられるのです。
20代の時の365日も40代の365日も同じ1年ですが、過ぎ去る時間の感覚は「無常迅速感」と言いますか、2倍にも3倍にも感じます。
「惜陰」とは、人生の余命の日々を惜しみ、一日一日の大切さを感じることです。この教えの大切さを以前より深く感じるようになりました。
要は、「過ぎて行ってしまう一日一日を大切にし、それを自覚して真剣に生きる」ことが大切かなということです。
「人間は環境の産物だ」と言われています。
スポーツの世界でも、最近では、男子ゴルフの松山英樹選手のアジア人として初めてのマスターズ優勝、水泳の池江璃花子選手のめざましい活躍がありますね。
お二人に共通していることは、「辛抱強さや忍耐力、諦めない気持ち」など、あえて厳しい環境に身を置き、自分の思う方向へ進んでいく姿、
まさに
情熱に勝る能力なし
だな!と思っています。
松山・池江両選手には及びませんが、私も、学生時代に取り組んでいた野球を通して得た経験や、20代や30代の頃を含め40代の現在も、私が頂いてきた人生の機会は、非常に貴重で尊い機会の数々だったな、と感じています。
一方、「原因と結果の法則」の著者、ジェームズ・アレン氏は、その著書の中で、「自分を取り巻く環境という“結果”は、自分の思いという“原因”が作り出したものである」と、言っています。
人生の機会は、その人がたまたま偶然に機会に出会ったのではなく、すなわち良い結果、成功の背後には、必ず「良い思い・努力」が存在していて、そこに一切の偶然性が介在する余地はないのだそうです。
そう思うと、自分という存在は、「その環境からつくられた産物」というより、「心と思いから、自らの環境を作り出せる存在」なんだと思います。
明日からも、「一日一日を大切に!良い思い・努力!」を大切に頑張ります!
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